伝統日本の”くそ壺文化"代弁者
<伝統日本の”くそ壺文化"代弁者> 2010/05/11 (Tue) 12:19:33
>[1 法治制度でがんじがらめで身動きが取れない。]
*法が治めない社会は現代人間社会ではない。
*「がんじがらめ」な規制は、地域や現実的合理性に則して改廃すれば良い。
>[2 結果、基本の基本、戒律が守られない]
*「戒律」とは坊主独断の”法律”の意味であり、現代民主主義社会の合理的法律生成の基礎がなく;
*「戒律」を守るのは日本の’葬式乞食独善坊主’だけであり;
>[3 結果、経済危機と成り、歴史的に見ると]
*1と2の「結果」で「経済危機と成り」とは無知蒙昧な誇大妄想である。
>[4 ルネッサンス以来500年続いた西洋が終焉]
*「西洋が終焉」とは地球規模の経済発展により、西洋以外の地域も発展して、西洋文化に地方文化が混合した意味であり、世界の中心的文化文明は、現在も西洋の文化文明である。
>[6 力の有る人が、力の無い人(うじ虫)に力を贈与しなければ成らない(二宮尊徳)]
>[7 人生は贈与に始まり、贈与に終わる]
*「力の有る人」がどうして存在するのか?; 人間は裸で生まれる!
*「贈与」とは’記念的贈り物’や、’持つ者’が’持たざる者’にする慈善行為であり;
*「力の無い人」や「持たざる者」の「人生(人間の生)」は「始まり」も「終わ」りも無いことになる、つまり存在を認められないことである。
〔これが封建時代の思想背景に基づく偽善者の言である〕
以上の様に、藤原直哉氏の論は伝統日本の”くそ壺文化”の典型的な無知蒙昧な代弁である。
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