音楽は人権と人格の表現である
《音楽は人権と人格の表現である》2010/11/13
[らばQ]には[ラツプ音楽好きはクラシツクが我慢できない?」もあり:
http://labaq.com/archives/51111198.html
オハイオ州の青年が「車から流れるラップミュージックのボリュームが大きすぎると起訴されました。」;
そして、その罰金減額の条件として判事から「クラシック音楽を聴くことに20時間を費や」す事を提案されたが;
彼は「《あれは音楽じゃない》」と「15分でギブアップ。」;
「判事の目的は、彼が好まない音楽を聴かせることによって、彼の行為により聴きたくないラップ音楽を聴く羽目になった人々の気持ちを理解させるためだった」そうです。
人権無視国日本の地裁判決〔参照:≪地裁判決と政府委員会の欺瞞性を裁く≫・#3、2010/03/25 (Thu) 14:02:15〕を容認した人非人の最高裁判事どもは「聴きたくない・・・音楽を聴く羽目になった人々の気持ちを理解」できないのです。
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